思考停止

映画、本、音楽、など

黛冬優子に関する一考察、あるいは……

 

 みなさんこんにちは、ツァッキ(@PalatiumLentum)です。何気にブログでTwitterアカウント名を公開していなかったかもしれません。意味はないのですが、ブログの方が本名での活動(ライター、同人誌など)に近いので、紐づけるとちょっとまずいかな?と思っていた程度で、それ以上の意味もそれ以下の意味もありません。はじめましての方ははじめまして。そうでない方はいつもありがとうございます。そしてたまにいるネトストツァッキガールズ(いるのか?)、愛してるよ。

 

 今日は4月18日月曜日(を、跨いで4月19日火曜日)なので、シャニマス(今後何のエクスキューズもなしにこの略称を用いますが、『アイドルマスターシャイニーカラーズ』というソーシャルゲームのことです)の4周年ライブ(空は澄みナントカを越えてみたいな副題がついていた)まであと1週間を切りました。僕は2日目に行きます。と同時に、僕がシャニマスを本格的に始めてから1年経ったんですよね。当時の僕は廃人一歩手前で、何日も眠れず、固形物が喉を通らないため食事は全部ウィダーでした。確か精神病院から出てきた直後だったはずです。詳細は省きますが、インストール自体は2年前にしていて、当時は芹沢あさひと浅倉透目当てで始めました。が、僕の壊滅的なゲームセンス(まあ、シャニマスにゲームセンスが必要かと言われると疑わしいですが)でWING攻略は至難の業、あさひも透も毎回ボロボロになって僕の前から去っていきました。2019年夏の限定冬優子をあっさりと引いた僕は、特に何の思い入れもなくWINGを冬優子でやりました。もう、顔の形が崩れるほど泣いた。「もう一度、アイドル、やりたい」と叫ぶ冬優子が本当に愛おしくて、ほとんど痙攣しながら泣いていたと思います。初めて準決勝を突破し、僕はゲームで流したことのない冷や汗をかいて震える手でタバコを吸いながら、ほぼ過呼吸のようになりました。決勝は敗退。このダメージがデカすぎて、僕は一旦シャニマスから離れました。もう一度始めたのは先輩に薦められてやった七草にちかが大きかったと思います。太陽キッスを聴きながら、大崎甜花に泣きながら(志摩遼平)シャニマスをシコシコと続け、今僕の机の横には4周年記念ポップアップストアで買った冬優子Tシャツがドバーンと飾られています。もちろんライブで着ます。頭も冬優子のメンバーカラーであるライムグリーンに染めました(美容師さんに「冬優子色にしてくださいッッッ!!!!」と絶叫できる胆力はないので、「ビリー・アイリッシュみたいな色にしてください」と言いました。色が近いんですよね)。

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(ビリー・アイリッシュの髪の色です。ところで、僕は「bad guy」を聴いたときにカニエ・ウェストの「New Slaves」を聴いたときと同じような感慨を覚えて、というのは極限までソリッドに音数を絞りきることでグルーヴがはっきり見えるため純粋に「踊る」ことが意識されていると同時に白人女性(ポップス)と黒人男性(ヒップホップ)という対偶の交差点がギターサウンドやその他上モノではなくマッシヴなビートの一点に収斂する現象はかなり興味深いなと思いました。以上余談です)

 

 しかし、なぜ僕は「黛冬優子」というキャラクター(あえて「人格」と呼びません)にこうも激情を喚び起こされてしまうのか、ということから僕はこの1年逃げ回ってきました。もう決裂してしまった友人と毎晩毎晩3~4時間電話して、なんで俺こんなに冬優子のことが好きなんだろう、なんでたかがソシャゲのキャラにどうしようもなく感情を揺さぶられてしまうのだろう、と言いながらタバコを灰にし、涙を流しました。そうこうしているうちに、僕がまだ実家を離れてボロアパートで暮らしていたときに彼と話し込んでいて、彼は市川雛菜に熱を上げていました。彼は雛菜について13000字の怪文書を書き(思うのですが、ネットで最初の言葉の意味から離れて用いられる「怪文書」は、そんなにおかしなものでしょうか。蓮實重彦ジョン・フォードについて語り、絶句する瞬間には「怪文書」的な論理の亀裂があるように思われます)、それを僕は読みました。今だから言えますが、彼が本当の意味で素直に文章が書けたのはあれが最初で最後だったように思います。それぐらい、飾り気のない、しかし衒学趣味なところもあり、チャーミングな文章でした。そして、僕らは「シャニマス文芸同人誌をやろう」と気炎を上げ、名前を『SHINOGRAPHIA MET@PHYSICA』としたのです。もう僕を知っている人ならお分かりかもしれませんが、5月文フリに出す弊サークル「プロジェクト・メタフィジカ」の前身でした。シャイノグラフィア・メタフィジカはハードなサークルで(2名でしたが)書いては見せ書いては見せを繰り返し、文章を叩いていきました。僕は冬優子について書くつもりでした。が、プロットは延びに延び、構想では7万字を超えるものになっていましたが、3万字で挫折。その後一旦シャニマスから離れて大きく方向転換し、屋号を「プロジェクト・メタフィジカ」に変更。冬優子論の一部に大きく加筆訂正を加え、最初の記事をリリースしました。別媒体ですが成果物なので載せておきます。

復讐、永遠回帰:「アイドルでシコる」ことについてのベルサーニ/ニーチェ解釈|プロジェクト・メタフィジカ|note

 振り返って思うことは、僕は冬優子を見ていなかった。それはつまり、二次創作で足が太く描かれるとか、「あこふ死」(「あんたはここでふゆと死ぬのよ」。言ってない。あと僕はこのミームが大嫌いです)とか、「死体を埋めるのを手伝ってくれそう」とか、あとは「ストレイライトは平成仮面ライダー」とか、まあなんでもいいですが、そういう外圧に引っ張られ過ぎて、「そうじゃないものを書こう」と「狙い」を澄ませすぎたというのは確実にあると思います。だから、公式からの供給でさえも解釈違いを起こしてブチ切れる。Landing Pointはいい例でした。「俺の冬優子は安易にプロデューサーと指切りなんかしない」、一体何目線なんでしょう。「俺の冬優子」にこだわりすぎていました。徐々に氷が融けかけてきたところに、「まあ、今なら読めるかな……」と開いた『Run 4???』がストンと胸に落ちたとき、僕はようやく「黛冬優子」というキャラクターをひっくるめて愛することができるようになったのだと思います――それはこれからも続く道のりであるということも含みで。そして今こそ、「俺は、冬優子のここが好きだ」というしがないオタクの戯言を残しておくべきだと思いました。僕はPカップも走りません。CDは新譜を全部買ってるわけではありません。カードも限定配布のSRを持ってません(SSRは全部持ってるという自慢。ちなみにこれには訳があり、イベント期間中はブタ箱にいました。早く復刻してくれ)。それでも、WINGで流した涙は本物だと思っています。言葉が底に降りてきているうちに、なるべく素直な言葉で、この4周年かつ僕がゲームを始めて2周年という節目にゴミ溜めのような文章を書き置いておきたいと思います。精一杯冬優子のプレゼンをするので、気になった人はスマホにインストールするかブラウザで黛冬優子をプレイしてみてください。引っかからなくても、必ず「あなたの心にクリティカルヒット」(公式のキャッチコピー)する女の子がいるはずです。一緒にシャニ狂い(しゃにぐるい)ましょう。それでは、どうぞ。

 

・基本説明

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常に控えめな笑顔で、清楚に見える女の子。可愛いものが大好きで、周囲への気配りをするなど人に好かれるように振る舞う。専門学校1年生。【公式サイトより引用】

 公式サイトの説明文で「清楚に『見える』」と書かれている通り、冬優子は性格にかなりはっきりとコントラストがあります。しかし、腹黒というわけではなく、なぜ僕が冬優子に惹かれるのかの二大ポイントである「自尊心」と「職業倫理」(若干ニュアンスがズレますが、「プロ意識」と言われることの方が多いです。しかし、僕は冬優子に倫理を感じているので、あえて職業倫理と言います)の表れであると言うことができます。別に冬優子においてさほど重要なことだと僕は思っていないけどよく冬優子を語るときに出てくるワード(公式もかなりこれを強く押し出します)として「二面性」がありますが、別に誰だって二面性ぐらいあるし、冬優子は社会と折り合いをつける=大人になる上で「冬優子」ではなく「ふゆ」として生きることを選び、そして彼女は「ふゆ」も「冬優子」もそれぞれが大切にできる道を知っています。この点で愛依の「愛依サマ」とは明確に異なっており、愛依は「ウチ」のままでステージに上がることができないため「愛依サマ」にプロデューサーに促される形でなりますが、愛依はよくも悪くも冬優子のような自意識の衝迫がないため全てがなすがままだし、おそらく「あがり症(というより、愛依は場面緘黙症の方が近い気がしますが。同じだっけ?)」であろう彼女のコンプレックスは解消しているというより「逸らし」ているだけです。この愛依に存在しない自意識(特に「見られている」という)の介在が「冬優子」の存立要件であり、「ふゆ」の存立要件は「冬優子」なので、ウラオモテじゃない。全部一本の線で繋がっている自意識の鎖なんですね。これがかなり微妙な描き方をされているのがP-SSR【starring F】で、小さい頃から冬優子がその自意識のせいで損な思いをした結果今の人格形成がある、という見方もできるし、僕のしない「二面性」という観点で見れば社会性の必然性に迫られて「ふゆ」が表に出てきて(というか、表に出した方が「冬優子」にとって楽だと分かった。とも言えると思います。注意したいのは、「冬優子」が先で「ふゆ」が後、ではないということです。「冬優子」も「ふゆ」も根は同じなので、やはり自意識の芽生えと共に人格形成があったと見るべきでしょう)、リャンメンで「冬優子」と「ふゆ」が存在するという見方もあります。しかし、僕は後者の見方を取らないので、「一本の鎖」としての黛冬優子像を推したいと思います。

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(P-SSR【starring F】です。冬優子って三つ編みもするんですね。)

 話が逆になってしまった気がしますが、見た目の話をしましょう。髪の毛はおそらくツインテール(余談ですが、こういうタイプのツインテールってあんまり見ない気がします。横を二つに結んでて触角があり、後ろがそのままストンと落ちてる。結構ググったんですがこの髪型に名前はついていないようです)、163cmの55kg、78/59/81、出身地は茨城県。順番に見ていきましょうか。163cmは何気にデカい気がします。実はユニット内最高身長(愛依の方がデカく見えますが、愛依は162cmです)。そう言えばDARSコラボでも他ユニットメンツと並ぶとかなり存在感があったので、もし冬優子まんまの人物が実在したら163cmであの格好なので凄味があるかもしれません。僕が170cm(ということにしたいが、実際は169cmです)なので隣に並ばれるとキツいですね。ヒールなんて履かれたらたまったもんじゃありません(冬優子はヒール履かなさそうだけど)。まあ、それを言ったら咲耶とか確か170cmだったと思うので、シャニマスアイドルは女の子にしては皆身長高めかもしれません。月ノ美兎が言ってたけど果穂の身長は高山の性癖だろ。

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(DARSコラボ。冬優子デカいし全体的にパツパツ)

 加えて55kgとあります。55kgって、仮に身長を170cmの成人男性としてもちょっと痩せてるぐらいの体格です。桑山千雪が48kgというもはや何も信じられないこの世界ですが、背丈と合わせて鑑みても確実に質量を感じるこの重み。冬優子の重さは何由来なのでしょうか。B78なので胸ではない、H81は安産型だけどそんなにデカいわけではない、え、腹……?まあ、ここからは脱線ですが、「55kg」という情報だけ与えられてどこにどう自分の妄想を押しつけるかの結果、「太ももが太い(下半身デブ)」という二次創作が流行ったのでしょう。冬優子はスキニージーンズとか履かなさそうなので、スカートやキャミソールが合わなくて静かに涙を流したりするのでしょうか。僕はレディースブランドにはとんと疎いのですが、【ONSTAGE?】の白いワンピースの爽やかで可憐なイメージだと、僕はVALENTINOの2021SSに見られるパステルカラーと花柄の色使いなんかも似合うのではないかなと思います。冬優子って欧米体型なのかもしれん。VALENTINOはリアルクローズで見てるとBALENCIAGAみたいなオチャラケイメージが強いのですが、オートクチュールは好きですね。軽妙洒脱という表現がしっくりくる。

(P-SSR【ONSTAGE?】。ところで、これはコミュの話なんですけど、結局ロケってどこだったんでしょうね?海外だとすればイタリアですが、もしイタリアだったらストレイライトも大概ビッグな存在ですね。)


www.youtube.com

(VALENTINO2021SS。空間の使い方がいいと思います。VALENTINOはまあ自分では着ないブランドですが、ランウェイは結構好きで見ます。)

 見た目ではなく設定の話になりますが、正直僕は茨城がどういう場所なのか分かっていません。マックスコーヒーの生産地(千葉だっけ?)、ガルパンの大洗、あと、あと何?(茨城県民の方すみません)冬優子は自宅通で寮に下宿をしていないことは【starring F】他のコミュからも明らかですが、仮に水戸駅聖蹟桜ヶ丘駅と考えると、

水戸駅常磐線品川行、上野東京ライン直通)→日暮里駅(山手線内回り)→新宿駅京王線高尾山口行)→聖蹟桜ヶ丘駅

で、3本乗り換えで3時間かかります。往復6時間。早入りのときとかどうしてるんでしょうね?まあ、僕の高校の時の部活の同期に箱根の近くから練馬まで来ていた奴とかいたんで、あんま珍しい話じゃないのかもしれませんが。大学入ってすぐ一緒にご飯食べた女の子は群馬から新幹線で大学通ってると聞いた思い出も。冬優子もアイドル以外の学生生活(専門学生って、なんの?という話題はオモシロnコマのアヴェンタドール氏もネタにしていましたが、ここではそれは置いておきます)の一限のために朝5時に起きたり、飲み会(※未成年です!冬優子はアサヒスーパードライも飲まないしセブンスターを1日1箱空けません!)で「ごめん!ふゆ明日早いからお先にドロンするね♡」と言って1次会の真ん中でハケたりするのでしょうか。まあ、冬優子が幸せならなんでもいいです。肝腎なのは、太ももが太いとか、アサヒスーパードライを飲むとか、最悪なのはボブ冬優子(冬優子は少ない例外を除いてあのツインテールがトレードマークです)みたいな「シャニマスをやっていなくてもイジれる要素」を二次創作からひとつまみして楽しむ態度とは一線を引く姿勢も必要なんじゃないかということです。プレイまでのハードルも、クリアのハードルも高いゲームですが、ゲームなのでやってなんぼ。まずはシャニマスをインストールし(ブラウザならすぐできます)、黛冬優子でWING攻略に挑戦してみましょう。

 

・1.じゃじゃ馬と呼ばないで――高すぎる自尊心と自己破砕

 ここからは冬優子についての内面の話になります。先ほども書いたように、僕が冬優子のことを好きな理由は「自尊心」と「(職業)倫理」の二点です。まずは黛冬優子の自尊心について若干ながら述べようと思います。

 冬優子は自らを高めるためなら手段を選びません。WING通常コミュ(プロデュースイベント)の「ワンダフルドリーミィデイズ」で「ふゆは、アイドルになれると思いますか?」とプロデューサーに問いかける冬優子は、それまで家庭の/クラスの「ふゆちゃん」であった自分=「ふゆ」であり「冬優子」から脱却したいと思っています。「アイドルって、みんなキラキラしてて、特別な存在しかなれない」と語る冬優子の目に映る景色はもちろん、「アイドル」になることです。やや余談ですが、「アイドル」というタームは冬優子のみならずストレイライトにとって他のアイドルと同じように重要な意味を持ちます。『Straylight.run()』で、どう見ても「やらせ」でしかないアイドルのオーディション(オーディションだったっけ。あさひが前の出番の女の子のダンスを完璧に真似して正当に評価されないくだりは覚えているのですが。菊地成孔流の自由連想法で書いているので、細部の間違いはご容赦ください)を前に冬優子は「こんなバカバカしい世界」と言います。「アイドル業界」なんて、真っ当なことがおよそ評価されないバカげた世界だという訳です。『WorldEnd:BreakDown』、『The Straylight』の過程で、ストレイライトは「互いに負けない、他に負けない」という価値観を獲得するに至ります。で、話は戻りますが、冬優子の勝負意識はあさひのそれとは違っていて、自意識が介入している。この先程から出てる「自意識」とはなんなんだという話ですが、これは「台本通りの茶番劇」「諦めたくないものは一つだけ」のプロデュースイベントに集約されていると言ってよいでしょう。つまり、ベテランカメラマンに「嘘の笑顔」と言われ、こてんぱんにこき下ろされる冬優子の逆上は(こんなこと、改めて言うまでもないのですが)「君は人をナメてかかっているよね?」という一生懸命作り上げてきた「ふゆ」の全否定だからで、しかも冬優子は確実に人をナメていたので図星なわけです。撮影現場で滅茶苦茶にブチ切れ倒し、挙句の果てに脱走。この辺は自我が未成熟な感じがしますね。その後戻ってきて、あの名シーンが来ます。「もう一度、アイドル、やりたい!」。ここで選択肢が出るのがこのゲームの大向うでありやってて辛いところなのですが、この辺は他ユニットですが樋口円香の「心臓を握る」で「身の程って現実でしょ」「怖い……」と漏らすシーンに似ています。両者ともに違った仕方でガチガチに自意識を固有のロジックで守ろうとしているんだけど、それが緩んだり崩壊したりする瞬間にドラマトゥルギーがある。これは実在の人物にも言えることで、普段外面をガッチリ作っている人ほどその外面が自意識の裏返しになっていて、それが何かの拍子に瓦解してしまう瞬間にその人のことを好きになったり嫌いになったりするわけですね。ここで「おかえり」を選択すると(まあどの選択肢でもヤバいですが)、冬優子は声にならない声をあげて泣き出します。僕はこのシーンをトパーズ冬優子で初めてやったとき、マジでゲロ吐くほど泣きました。自意識が強い人に弱いんですよね。

 この記事は1万字以内にしようと決めているのでちょっと急ぎ足で行きますが(何の配慮?)、冬優子の自尊心は「ふゆ」「冬優子」を可能ならしめている自意識にその存在がかかっています。自意識が強烈であればあるほど、「ふゆ」は硬直化するし、「冬優子」は意固地になる。逆に言えば、自意識を飼いならせる=自尊心をプラスに転化できる冬優子は「さぁ、幕を上げましょう!」でも、GRADのエンディングでも「あははっ、トーゼンでしょ!」と高笑いを上げて目の前の人々を「欺く」ことができる才能の持ち主です。その才覚があればこそ、ネガとして「何が本物の笑顔よ!んなもん知らないわよ!」と言って机を蹴り飛ばす(蹴り飛ばしてない)ヒステリーもまた存在するということです。そして、僕はそんな自意識からくるプライドが高すぎる冬優子を、愛してやまないのです。

 一点だけ短く触れておきます。Landing Pointにおける自惚れはWINGの最初のベテランカメラマンとのやりとりをなぞっているだけですが、GRADで見事「詐欺師」となりおおせた冬優子はその傲慢から同じ失敗をします。なので「次はない」と言っているわけですね。この辺は倫理の問題にも繋がってくる気がしますが、いかんせんLPはシナリオの出来が良くないと個人的に思っている(Pラブは二次創作だけでいい)のでここまでにしておきます。

 

・2.黛流のエチカ――「プロ意識」なのか?

 ここについてはあまり長くせずに簡潔に説明していこうと思います。

 『Run 4???』の大詰めで4周年記念のストレイライトのムービーでもピックアップされていた「嫌なのよ、ちゃんと、仕事をしないのは――」という冬優子の台詞に彼女の倫理観がよく表れているでしょう。「ちゃんと仕事をする」とはなんでしょう?恐らく、冬優子自身の定義で言うならば、「各々の持ち場で、各々が見せ場を作れるよう最善を尽くす」ことだと思います。『Run 4???』で自分のやりたい競技に出ると言ってかたくななあさひに業を煮やす冬優子に、安易に「プロ意識が高い」という形容を当てはめたくなる気持ちも分からないではありません。

 再度、「アイドルとは何か?」という問いに回帰したいと思います。これは僕の話ですが、AKB48に始まってTWICEに終わった僕の10年以上に亘る三次元アイドルオタクの経験を振り返ってみて、やはり「アイドルとは何か?」という問いが頭を擡げます。しかし、多少哲学などをかじっていれば分かるものですが、「とは何か」という問いに何か答えが出ることは期待できそうもない。遍在する問いの欠片を拾い集めるしかないのだと思います。私見では、アイドルの内在的な存在意義とは「自己プロデュースの底を割る」ことだと思っています。カメラに向けたウィンク一撃がテレビの液晶をブチ割る可能性がアイドルにあった時代を僕は知っています。それは例えば柏木由紀であったり、新井ひとみであったり、佐々木彩夏であったり、色々なアイドルが自分がどう輝くのかの計算を超え出て「底が割れる」瞬間を見せてくれました。冬優子は、「自分(たち)がどう輝くか」についてはプロパーであった=倫理的であったけれども、「割れる」瞬間については「仕事をしないこと」だと思っていた。これはちょっといやらしい言い回しをすると超道徳的な問題です。そこの背中を押すのが愛依で、冬優子の魅力であり欠点であるエシカルな部分を「いいんじゃね?」の一言で「良い」ことにしてしまう。「アハハ~」botじゃなかったわけです。迎えるクライマックスは、出来の良いオペラ・ブッファのよう。『Run 4???』で示されるストレイライトの、そして黛冬優子の新たなブレイクスルーは「底が割れる瞬間」を直視すること=アイドルの超道徳性を我が物にすること、だったと言えるでしょう。

(拾い画で小さいですが、いいですよね~、この画面(水野晴郎)。)

 

・おわりに

 ギリギリ目標字数以内で終わりそうで安心しています。毎朝8時に起きてフランス語の勉強しなきゃいけないのに深夜1時前です。

 恐らくここまで(とはいえ全部を言語化できたわけではまったくないのですが)冬優子について抽象度が高く、かつディテールを絞って書かれたものはないのではないかと自負しています。多くのシャニマス考察記事が考察と銘打っておきながら自分のツイートを貼り付けただけのものだったりとか、スクショをペタペタ貼って中身スカスカとか、そんなんばっかりだったので自分がこういう記事を読みたいな~と思って書きました。僕が冬優子についてようやく(ようやく、です。初めてプレイしたときから1年半も経ってしまいました)ある程度筋道立てて書けるようになったのは時間のおかげというのもありますが、同人やブログで精力的に文章を書くことをやめなかったからだと思います。というか、三次元から考えると「推しを言語化する」ことができるようになったのに12年かかったのですね。ちょっと気が遠くなります。ずっと手が届かなかった冬優子のところに、少しだけ手が届いたような気がします。

 

 最後に、アイドルマスターシャイニーカラーズをよろしくお願いします。シャニマス友達いないので、この記事読んで友達になってもいいよって方いらっしゃったらTwitterまで連絡をください。幕張メッセでコーラで乾杯しましょう。

 

 では、ごきげんよう