思考停止

映画、本、音楽、など

ほんとうの言葉はいつも間に合わずに――哲学科の思い出

 そうだ、これは夢、起きたら僕は20歳の5月になっていて、僕は世界で一番好きな人と付き合っていて、色んな哲学書を読んでいて、一生懸命フランス語を勉強して、そしてベルクソンだかアルチュセールだかで大学院で研究者の道に進むんだ……書いてて胃が痛くなってきた。そうはならなかった。そうはならなかった時点で、この話は終わりなんだよ。今僕は大学院受験の前に「哲学にやっぱり興味ないわ」と大学院進学から逃げ、「就活する」と大ウソをこいて何もせず、やっぱり留年したら哲学への情念が燃え上がってくるという情けない顛末で、そしてマンスリーマンションのベッドだけがクソデカいワンルームでこれを書いている。卒業論文はもうすぐ書き上がって、哲学科の5年生アルチュセールが専門、という学内ではもはや有名になった肩書を捨てて文筆ワナビのフリーターという最悪の人種に成り果てようとしている。でも、これも全部自分が選んだことだから、後悔はしていない。僕は哲学科の友人は少なかったし、哲学サークル(読書会サークル)も同期に一人も友人はおらず先輩後輩とつるんでいたけど、それでもやっぱり「哲学」が好きな人たちが集まる空間や「哲学科」という自分の専攻に誇りを持っていた。大学生活の終わりに向けて、少しだけ思い出話をさせてほしい。そして、進振りで哲学科に行こうとしている大学1年生や2年生の人たちは、どうか僕のようにならないでほしい。なってしまったのなら、折り合いをつけられずにずるずるとしてしまう自らの身の上を、ずっと恥じ入ることになるだろう。

 

 大学1年生の僕は、進学振り分けを三つのコースで悩んでいた。哲学科、仏文科、映画学科。元々高校時代は日本映画で卒業論文を書いていたから、1年の選択ゼミでは映画学のゼミでは発表者を質疑応答で全員ボコボコにし、皆がジブリとか『フォレスト・ガンプ』とかで発表する中自分はルビッチと成瀬の比較検討などをやってご満悦になっていた。そのときゴダールベルトルッチの発表をしていた男が今まで続く最良の友人の一人だったとか、そういうのはある。仏文科については高校時代からバタイユマンディアルグアラゴンアルトーなどを一通り読み、大学に入ってブルトンを読んで衝撃を受け、正直一番行く可能性が高かったのは仏文科だった。もう一人の悪友が仏文科に行くということもあり、ブルトン研究をやりたかったという思いがあった。選択外国語はドイツ語だったが、うちの大学はその辺がゆるゆるで、志望して面接し、熱い思いを語れば通るとのことだった。幸いGPAも優秀というほどでもないがヘボでもないといった感じだったので、行けなくもなかった。

 しかし問題はここからだった。同じ英語クラスの入学当初からぞっこんだった女の子が哲学科に行くとのことだった。これには青天の霹靂、自分の進路と恋路が大きく変わることになる大問題に他ならなかった。僕は彼女のことが好きで好きでたまらず、塾講師のバイトの過重なストレスと過剰な恋愛感情で渋谷駅のホームで発狂、パニック発作を起こして以来障害が変異して躁鬱病になるぐらい好きだった。元々僕は小学生のときから永井均の『子どものための哲学入門』を読んでおもしれ~となって、高校時代はよくも分からずヘーゲルの『美学講義』やウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』などなどを読んでいたが、今考えるとシュルレアリスム文学や蓮實や柄谷などの批評の方を読んでいたし、それ以前に映画を一か月に20本以上観ていたので、そもそも哲学大好きっ子というわけではなかった。しかし、である。哲学科に行けばあの子と一緒に勉強ができる。勉強を頑張って演習の発表などでカッコよく決めればあの子も振り向いてくれるかもしれない。まあ、そんなわけがないし、たまたま入っていた哲学の読書会サークルでベルクソンを割と一生懸命読んでいたというのもあるのだが、僕は血走った眼で第一志望学科を哲学科にした。その子とは3回告白して3回フラれたりやっとベッドインまで持っていけたと思ったら当時既に童貞ではなかったにも関わらず緊張でチンチンがビクともしなかったりとか色々あったのだが、これは哲学科とは関係ないので省略。ただ、後述するが彼女が僕の個人的な哲学科生活に大きな影響を与えていたことは間違いない。

 2年になり無事哲学科に進学した僕は、もうがむしゃらに勉強した。1限のレヴィナスのフランス語講読の予習で前日は徹夜し、フラフラのまま出席して今もお世話になっている教授の話を聞いたり当てられて訳を答えたりして終わったら質問して、大学近くのシャノアール(今はない、大学よりいた時間が長かった喫茶店)でホットサンドとコーヒーを食べて飲みながらカント演習の発表原稿を作り、ラテン語とフランス語の文法をそれぞれ2時間ずつ……などなど。今考えれば好きな女の子と専攻が同じになって舞い上がっていただけなのだと思うが、この猛勉強した期間は間違いなくその後哲学科で過ごす上で糧になったと思う。授業の合間にシャノアールで数少ない哲学科の同期(彼らが社会人や修士に行った後も繋がりがある)と一緒にハイデガーレヴィナスについて語り合ったのもとても良い思い出である。

 そうこうしているうちに、運命的な出会いが訪れる。ルイ・アルチュセールだ。たまたま古本屋で投げ売られていた今村仁司の入門書をウンウン唸りながら読み切り、これは面白いのではないかと思って『マルクスのために』を買った。正直何を言っているのか分からなかった。しかし、その文体の冷徹な切れ味、得も言われぬ凄味に僕はあっという間にアルチュセールの虜になってしまった。特に「矛盾と重層的決定」には衝撃を受けた。僕が好きな女の子と付き合えて、少しの幸せな期間の後に躁鬱地獄に叩き落され、ぐちゃぐちゃの状態になってしまっても、僕は「矛盾と重層的決定」について、喫茶店で、彼女の家で、とにかく手書きで大学ノート一冊分丸々潰して研究ノートを書いた。これはのちのち卒業論文で大いに役に立つことになった。病気というのはよく分からないものである。とにかく、彼女と別れてからやたらフーコーを読むようになったり(単純にあまりエキサイティングな論述ではないので読んでて神経が逆立たなかったというのもある)してもこれ以降今までずっと、というか年を追うごとにアルチュセールへの気持ちは強くなっていくばかりだ。多分哲学科を卒業してもそうだろうし、僕が哲学科にいた意味こそがアルチュセールに出会えたことだと言っても全く過言ではない。

 さて、年が明けて未だに病気でうろんだった僕はフーコーデリダなどを適当に読みつつ時折起こるパニック発作と昏迷に悩まされていたわけだが、この辺りで明確にパチンコにハマり出す。一度先輩から借りた3万を一瞬で適当な4パチに溶かし、親から激怒されるもよく分からず、結局親が先輩に借金を返すなどというどうしようもない一幕もあったりした。結局3年の半ばあたりまでは強制的にドゥルーズヘーゲルを読む機会があったので勉強はしていたが、完全に失速。パチンコ、風俗、アイドルの三本の矢で全く自主的なモチベーションが上がらなくなる。ただ、それでもアルチュセールだけは読んでいた。僕は二巻立ての本を最後まで読み切れた試しがないのだが、『再生産について』だけは「イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置」含めて線を引きながら完読することができた。結局パチンコは今でも完全にはやめられていない。生活費を賭けてするパチンコ、気持ちよすぎるからね……。そんな中、僕の文章のファンである女の子と付き合うことになる。彼女に関しては特に言うことがない(哲学に関して与えられた影響があまりない)のだが、文筆の道に背中を押してくれたことは感謝している。別れ際は最悪だったが、これも自分のやってきたことのツケだろう。

 そして5年生になった今、2年生のときかそれ以上に、アルチュセールと哲学への感情がより純粋に、より熱くなっているのを感じるのである。

 

 そうだ、これは夢……と思いたい気持ちはもちろんある。病気をしていなかったらあの子と一緒のままアルチュセールを研究して、アカデミアに行けたのではないかとか、3年生のときすごく時間を無駄にしてしまったなとか、もっといろんな本を読んでおけばよかったとか、そういう気持ち。でも、そうならなかったのだ。そうならなかったということは、こうなるしかなかったということでもある。そして、迷っていた仏文科や映画学科との選択に関して言えば、最初の動機はかなり不純であったものの、「やっぱりブルトンをやりたかった」とか「増村保造研究をすればよかった」と思ったことは一度もない(アルチュセールの性質上文学部という選択からミスしていたというアレはあるが、それを言ってもしょうがない)。哲学研究を学部なりに真面目にやってきた人間として、哲学研究の手法が肌に合っていたというのもある。反時代的であれ、それが哲学をもっとも真面目に受け取る仕方なのである。

 

 眩しい未来に もう戻れない――敬愛するルイ・ピエール・アルチュセールの命日に。