早良香月Vtuber批評まとめ
Vtuber批評がまた盛り上がっている。よいことだと思う。私は今まで4つのVtuber論を書いてきた。それぞれに簡単なコメントを付し、改めて挙げておきたいと思う。この全てに、私は私のVtuberについての何かを賭けていることが読み手に伝われば幸いである。
・2019年
「御伽原江良について――虚構の臨海とペルソナの呪い」
https://lesamantsdutokyo.hatenablog.com/entry/2019/06/24/033706
初めて書いたVtuber批評。ナンバユウキ的工学/美学による三層構造ではなく構造から逸脱する文学をVtuberに見いだす試み。当時5chに貼られて「キチガイギバラヲタク」と言われた。
「Vtuber・轟京子という人格――凡庸なろきぺによる一考察」
https://note.com/anusexmachina/n/nc3bc30b89129
三層構造の限界から「人格」という現在の他の分野の批評まで通低するテーマで轟京子について。「ガワ」や「プラットフォーム」というインターフェースは人格を左右するかの問い。
・2020年
「女の頭に金属バット――Vtuberとリアリティショーの倫理、射精するオタク」
https://lesamantsdutokyo.hatenablog.com/entry/2020/06/05/025022
生配信Vtuberには倫理がないとする「みそは入ってませんけど。」に対する応答。Vtuber論というよりオタク論。何をもってオタクがオタクの判断を下すかは倫理の彼岸にある。
「われら主体を待ち望む――Vtuberとイデオロギー的再認、還元不能な場所で――」
https://lesamantsdutokyo.hatenablog.com/entry/2020/09/09/164421
サークル誌に載せる原稿の初稿(なお「もっと簡単にしてくれ」と編集から差し戻された)。Vtuberの定義を工学/美学に求めるのではなく、哲学/社会思想の分野から基礎づけ、卯月コウに応用する批評的試み。轟京子の記事に次いで伸びた。