思考停止

映画、本、音楽、など

輝ける日々 その3

 幼い頃、周りから神童と言われた。実際自分のことを神童だと思っていた。11歳でブログを始め、小学生とは思えない音楽評論で、ツイッターなんかやらなくても一定の読者がついてコメント欄はすぐに埋まった。

 

 今が凡人だとは思わない。精神疾患を患ってなお文章を書き続けることは一つの才能だろう。だが、なんのために書いている?こうやって打ち込んでいるときも、普段の半分のスピードでしか打てない。打ち間違いも多い。俺は俺のためにしか書いていない。結果としてお金になったりならなかったりする。だが、結果論だ。リヒャルト・シュトラウスの楽劇『ばらの騎士』に、こんな一節がある。

Es sind die mehreren Dinge auf der Welt, so daß sie ein’s nicht glauben tät’, wenn man sie möcht’ erzählen hör’n. Alleinig, wer’s erlebt der glaubt daran und weiß nicht wie….

世の中にいくつかある、人が語っているのを聞いても信じることのできないことの一つなのね。ただそれを経験した者だけがわかること、そしてそれでもどうしたらいいかはわからない……。

 「ただそれを経験した者だけが分かること、そしてそれでもどうしたらいいか分からない」。しかし、マルシャリンは分からないものを分からないものとして選ぶことを受け入れる。オクタヴィアンとソフィーの幸せな結末(?)に向かって、マルシャリンは「ベタオリ」を選ぶのだ。

 

 薬で出た腹。うろんな視界。明日俺は精神病院にブチ込まれる。分からないものを、分からないものとして受け入れることができないまま。Sind halt aso, die jungen Leut’!に対して、Ja,jaと肯定できないのだ。「若い者はこんなもんですな!」。こんなもんなのか?

 そしてやはり、悲観せず、あえてこう言おう、これまでも、今も、そしてこれからも、輝ける日々は続く。未来がなくても、続いても、VIVA (NON/LONGTEMPS) AVENIR!(間違ってる?)と言ってしまおう!生きてて、よかった!