思考停止

映画、本、音楽、など

輝ける日々 その1

 文章が書けない!っつったってはてなブログを開いて文字を書いているのだから、意味の連関が把握できないレベルではない。統合失調症ワードサラダは例としてよく『パプリカ』の「オセアニアじゃあ常識なんだよ」が持ち出されることがあるが、実際自生思考でワードサラダしか出てこなくなったときはあんなに意味不明にはならない。もう少し論理的な文章になる。狂人には論理がないなんて本当にバカげている話で、狂人ほど論理立った文章を書くものである。じゃあ僕が専門である以上に私淑しているルイ・アルチュセールはどうなんだという話になる。彼が双極性障害を発症したのは捕虜時代の1940~1945年のどこかとされているから、一番早ければ1918年生まれを考えて22~23歳?うわ、僕と同い年じゃん。高校時代の恩師に「アルチュセールを研究しています」って去年言ったら「ダメだよ。まともにアルチュセールなんか研究してたら気が狂うよ」と言われた。「研究対象と自分って似るからね。ミラーニューロンじゃないけど」もう似るとかそういう次元ではなくて僕はアルチュセールの伝記やもろもろを読むたびに他人事とは思えずに胸の下の方がギュッと締まってしまう。恋?いやそれは流石に……。

 火曜日に僕は精神病棟に入院することになった。場合によっては電気ショック(ECT)で断片的に記憶喪失を起こすこともあるらしい。じゃあせめてシャバの3日間ぐらいは何かを残しておこうということで1日1本ずつエントリを書いていく。前のVtuberのエントリは僕が辛うじて絞り出した論理であって、というかよく見ると若干トチ狂った文章なのだが、そういうものの方がウケは良いらしい。いや、別に皮肉でもなんでもなくウケることはいいことだ。精神病棟でVtuberは見れるのか?分からん。

 これは日記ではない。このブログの管理人の思考の爪跡だ。しばらくブログは書けない。今も頭がぐるぐるする。しかしそうでもしないと生きている心地がしない。さっきも左の壁にゴキブリの幻覚が見える(もう慣れた)。部屋に人が入ってきた気がして何度も振り返る。精神病棟で読む本は筑摩文学大全のマラルメヴェルレーヌランボーのぶっとい古い本、マキャヴェリの『世界の名著』、新潮文庫コクトー詩集。コクトーは昔読んでいたやつだが他の二冊はそう簡単に読み切らんだろう。少し哲学と批評から距離を置く。今聴いているのはジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団シューマン交響曲第2番、スイスのルガノ・ライブ。何度も聴いた演奏だが何度聴いてもいい。音楽もあまり聴けなくなる。いっぱい聴いておこう。今日はじりじりと嫌な感じがする。昨日は最悪だった。まあ、それでも、何があっても、輝ける日々は、いずれやってくる。それを信じられなくなった瞬間、ゲームは終わるのだ。明日も書こう。