思考停止

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ONCEになれなかったヲタクの嘆き、あるいは生き恥

 僕はTWICEが好きだ。Twitterでもこのブログでも、ことあるごとにTWICEのことを書いている。去年のMステで「BDZ」を観て衝撃を受け、MVを舐めるようにディグり、東京ドームのライブに足を運び、ハイタッチ会で推しのジヒョに会うために3万円分CDを積んだ。13歳でAKB48でアイドルのヲタクになってから随分経つが、こんなに金と時間をかけて応援しているアイドルは、多分TWICEが初めてだと思う。

 ちょっと迂遠な書き出しになるが、最近の「正直に言って」という枕詞は、露悪的な言い回しに対するうしろめたさや罪悪感をごまかすために機能してしまっているような気がする。正直であることは良いことであるはずで、わざわざ「正直に言って」などというエクスキューズは本当に言葉通りの意味で正直であるはずならいらないものなのだ。というエクスキューズにエクスキューズを重ねて言うならば、最近Twitterで見るONCE(TWICEの公式ファン名)を見ていると、「正直に言って」、気疲れすることが多くなった。こんなことを言うと人格を疑われるが(そして僕の人格は客観的に見て相当終わっている)、僕が10年近く女性アイドルのヲタクをやっているのは実生活で関わる女性が大嫌いだからだ。だから、ミソジニストと言われても、そうですね、という言葉しか出てこない。小学生のときからバスケ部の女子に集団リンチに遭い、女子ばかりの吹奏楽部に入って部長候補にまで上り詰めたにもかかわらず「キモいから」という理由で部長を下ろされ、今はバイト先の後輩女子にタメ口を利かれて完全に舐められている。やっとの思いでできた彼女とは本当にしょうもない喧嘩別れで関係が終わった。もう、こりごりなのである。そんな中で、女性アイドルは救いだった。散々自分をバカにしてくるリアルの女性とは違って、画面の向こうのアイドルは(ヲタクの薄汚い欲望にまみれて)キラキラと輝いていた。「都合が良い偶像でオナニーしてるだけ」、まさにその通りなのである。僕は、女性のことが大嫌いで、女性アイドルのことが大好きで、この二つは矛盾しない。もう変なおためごかしで格好をつける気力もなくなった。僕がアイドルを、TWICEを愛するのは、女性への私怨と憎悪の裏返しであることをいい加減認めなければならない段階に来ている。

 以下の文章は、TWICEとONCEを通じた、僕というアイドルヲタクの終わることのない自分語り、無間地獄である。「ONCE」でありたかった。そうなろうとした。でも、なれなかったし、もうなる気もない。しかし、こんな思いをしているTWICEのヲタクは、決して僕だけではないはずなのだ。というか、僕だけであってたまるかという気持ちがある。ONCEというファンコミュニティ以上に精神性を共有している共同体から爪弾きにされてしまったという疎外感を持つヲタクの立場に、僕は立っていたい。代弁しようとかそういう話ではなく、僕というはぐれ者を見つけて、似たようなはぐれ者の人が安心してほしいし、何より僕が安心したい。これは、コンプレックスまみれの一人のヲタクの、惨めなモノローグである。

 

・『Feel Special』と個人的TWICE観

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 つい先日の9月23日、TWICEはカムバックを果たした。今回のカムバックがただのカムバックではなかったことは、TWICEを追いかけているヲタクにとっては当然のことであった。『Feel Special』がスゴいというのは良い記事がインターネットで死ぬほど読めるから、このカムバック以前についての個人的TWICE観と僕にとっての『Feel Special』の話をすることにしよう。

 『FANCY』以前の、ティーンエイジャーの恋愛を「カラーポップ」という正直よく分からないジャンルに乗せて歌い踊るTWICEに、何の不満もなかったかというと、そういう訳ではなかった。あなたが好き、こっち向いて、という旨の歌詞を金のかかった分厚いポップサウンドに乗せて9人の可愛い女の子が歌って踊っていたら、それはまあ当然魅力的である。声も、低音が充実していて黒いグルーヴ感を演出できるジヒョ、歌い出しでグッと曲の世界観に引き込み、サビでもメインの音域を担当するナヨンのメインボーカルの2人を中心として9人それぞれに存在感があり、確かに他のK-POPのヨジャグループとは一線を画していた。ヴィジュアル面で文句のつけようがないのは今更僕が言うことでもないだろう。しかし、しかしである。僕はこれだけのポテンシャルを持った女の子が集まっておきながら、ポップに恋愛を歌うだけでいいのか?という思いを持つようになった。

 そもそも、TWICEに集まった9人の女の子は、全員は紹介できないが結構変な子たちである。とりあえずは動画を見てほしいのだが、例えば「SIXTEEN」のジョンヨンのLady Gaga「Applause」のパフォーマンス。

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化け物じみたスタイルの良さを持つジョンヨンだが、リュック・ベッソンフィフス・エレメント』を彷彿とさせる衣装を選び、目をひん剥いて棒立ちで歌うジョンヨンを観た時、「マジで変な人だな」と思った。まだ練習生なので歌が上手い訳では決してないのだが、表現力もある。

 あるいは、モモとミナのコンテンポラリーダンス

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モモは今年の初めの方に足の小指の骨を折った(何故かトイレで)のだが、V LIVEで「私は弱い人間ではないので足の骨を折った程度でダンスはやめない」と発言するという本気でアホなのかサイコパスなのかのどっちかとしか思えないエピソードもあり、このパフォーマンスで見ることのできるモモの表情は「妖しい」とか「猟奇的」とかの形容を越えて完全にイっている人間のそれである。ミナペンの人には申し訳ないが、モモが大変なことになっているのでミナを完全に食ってしまっている。

 全員の個別的なパフォーマンスは挙げられないが、要するにTWICEは「真面目で、誠実で、可愛いが、変な人」の集まりである。というのも当たり前で、プロデューサーのパク・ジニョンが現役歌手時代ピチピチのTシャツと短パンで踊り狂う変な人だからである。アイドルは、本質的にグロテスクなものだ。ソロではないのだからひとりひとりが何かいびつなものを持っているのは当然のことだし(僕はそれを「個性」で片づけたくはない)、いびつさをいびつさとして提示したときにアイドルは輝く。話がかなり長くなってしまったが、『TT』に代表されるTWICEポップスを、屈折したヲタクとしては無邪気に賛美する気にはあまりなれなかった(「TWICE的」とも言えるイメージ形成に間違いなく寄与した曲だし、『TT』が入り口になった人はもちろん多いにせよ、個人的にたくさん聴いた曲ではない)。『TT』があったからこそ『FANCY』や『Feel Special』が生まれたんだ、という意見もあり、それはそうなのだが、ジョンヨンやモモ(やそれ以外のメンバー)が持つ特異さを知っていればこそ、『Feel Special』は別として、『FANCY』が出たときはやっとか、という思いがあった。60年代的な意匠が凝らされたスタイリッシュなコスチュームに身をつつみ、ド派手な髪色(最近はタトゥーだらけになっている)のチェヨンに代表される『FANCY』のカムバックは、個人的な趣味もありとても嬉しかった。

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 で、『Feel Special』である。『FANCY』~『Feel Special』の間の半年については、これまた死ぬほど文章があるが、触れざるを得ないので簡単に触れよう。「サナの炎上」、「ミナの不安障害による活動休止」、「ジヒョの熱愛」、大体この三つである。どれも難しい問題だが、特にミナについては露悪的なヲタクである僕でさえかなり慎重に言葉を選ばなければならない。『Feel Special』でM COUNTDOWNに二回目の出演を果たしたとき、ジヒョは号泣していた。当たり前だったはずの「9人」が、当たり前ではなかった。今もミナは療養中であり、いつ復帰できるか分からない。8人での活動が、TWICEにとってどれだけ複雑な意味を持つかは、TWICEにとっても、ファンにとっても、違った形で重い問いである。『Feel Special』は、サナやミナ(ジヒョについては喜ぶべきことなのだが、ジヒョにもダニエルにもガチ恋ヲタクはいるわけで、実際カン・ダニエルの熱狂的なファンがハイタッチ会でジヒョに嫌がらせをしようとしているのでチケットの譲渡には注意してくださいといった旨の注意喚起もあったりした)に代表されるグループの困難を、下世話になることなく、しかし物語化を引き受けて、血の通った楽曲とパフォーマンスに変換して世に問うた。その内実は、『Feel Special』について様々な記事が書かれていることからも、改めて僕が書くことでもないだろう。

 僕はアイドルの曲への向き合い方として、アイドルの物語と歌詞を重ねる聴き方と、自分自身に重ねる聴き方の二つで向き合っている。「物語」としては、なるほど、100点満点だ。流石餅ゴリ。では、自分自身に重ねるとしたら、どうだっただろうか。TWICEの楽曲は、上にも書いたが『CHEER UP』や『TT』、『What is Love?』など、ティーン女子の恋愛を歌ったものが多い。22歳ヲタク男性がライドできるものではない。ところが、『Feel Special』は、より普遍的なことを歌っている。特に心に残ったのは、「みすぼらしいNobody」や「何でもない存在」、「いなくなっても分からない人」といったネガティブな言葉が散りばめられていることだった。『Feel Special』は、価値がない自分が特別な何か――それは自分自身であっても、恋人でも、友人でも、テレビの向こうの人でもいい――に出会うことで、自分を価値あるように思えるようになる、という自己肯定のプロセスの歌だ。そして僕は、TWICEに出会うことによって、みすぼらしく、価値がない自分を特別な自分として認める、まさに「Feel Special」だと思えるように…………ならなかった。ここがミソである。アイドルがどれだけ輝いていようが、自分が惨めで卑屈な性格なのはどうしようもない。大事なことは、向上心を持つことだ。このままじゃいけない、と思って、自分で自分を認めなければ、スタート地点にすら立てない。そして、僕は自己承認が本当に下手である。こういう文章を書いてTwitterの感想やブックマークをもらって、ようやくなんとなく自己肯定感を得ることができるが、ベースが卑屈でコンプレックスまみれなので、それも一瞬である。TWICEが何を歌おうが、僕がキモいヲタクという事実は変わらないし、特別とは言わなくとも自分で自分を認めることがどうしてもできない。

 TWICEは、自分が今まで通ってきたアイドルの中で、最も精神性を重んじるアイドルだと思う。JYP三訓「真実・誠実・謙虚」に始まり、TWICEが人間としてファンを裏切ったり姑息なことをしたりすることはなかった。実際、TWICEが心の助けになったことは何度もあった。大学3年の秋、持病の精神疾患の治療で飲んでいた薬を減らしたら、離脱症状希死念慮にかなり苦しめられ、大学に行けなくなった。「外に出たら死ぬ」どころか「リビングに出たら死ぬ」(包丁があったりリビングのすぐ外にはベランダがあったり、など)という観念に支配され、暗い自室で1日中布団にうずくまっていたときに、なんとか自分が死なないで済んだのはTWICEのおかげである。V LIVEに上がっているシンガポール旅行やスイス旅行の動画全部を何周も観て、ああよかった、今日は死なないで済んだ、という日々は確実にあった。しかし、だ。僕がTWICEを観ているのはひとえに(離脱症状のときに助けられたのも含めて)「逃避」である。現実から、病気から、女性から、どうにかして逃げたいという気持ちでTWICEを観ている。そんな気持ちで、向き合っているとは言えない仕方で向き合っているTWICEに「君は価値がないと自分で思っているかもしれないけど、何かのきっかけで自分を特別な存在だと思えるようになるかもしれない」と言われると、かなりうしろめたい気持ちになる。すいません、僕がTWICEのことを好きなのは逃げなんです、自分で自分を認められない=自分からさえも逃げたいからあなたたちのことを観てなんとかやっていってるんです、本当にすいません……。『Feel Special』のTWICEが提示する人間像は、本当に立派だ。じゃあ、立派じゃない人は、TWICEのこと好きでいちゃいけないんでしょうか……?

 

・「ONCE」からの落伍

 女性として、人として、言うこととやることが一致しているTWICEというアイドル。K-POPのそもそものファン層が女性が多いということを考慮に入れても、TWICEのファンは結構女性が多い。Twitterでもそうだし、東京ドームやハイタッチ会で見る光景も女性だらけだ。やっぱり、見た目が綺麗だという以上に、同じ女性として尊敬できるという部分もあるのだろう。BLACKPINKなどに代表される「ガールクラッシュ」表象が、「女性から見てカッコいい女性」像として打ち立てられているのもそうだが、TWICEにしろ、K-POPは女性アイドルの精神性が日本のそれとはかなり違うというのは色んなヨジャグループを見て思う。そして、女性観や人間観も含めた精神性の象徴として、TWICEに限らず他のグループもファンに「公式ファン名」を与える。TWICEであれば、「ONCE」だ。「ワンスサランヘ~」とダヒョンやサナなんかがよく言うが、TWICEもONCEというファン名をかなり好意的に用いる。そしてONCE達は、自らがONCEであることが誇りのようだ。ライブ・イベント会場でラブリーグッズを身に着け、キャンディーボンをぶら下げ、トートバッグには缶バッジがびっしり。AKBの握手会でそういうことをするのは認知のためみたいなところがあるが、TWICEの会場でそのように「武装」するのは訳が違う。TWICEが好きであること、「ONCE」という呼び名を各々が背負うことが、ファン一人一人にとってのアイデンティティとなっている。

 しかし、僕はと言えば「アケカス」(AKBヲタクが用いる自虐的な蔑称)育ちである。というか、Twitterでアイドルのヲタクをやっているというとき、僕が中高生の頃見ていたのは「ヲタクであることの卑屈さ」である。アケ「カス」、乃木「カス」、地下「豚」、プラチナム「奴隷」「豚」、ヲタクは、アイドルが好きであることを、根本的に恥じていた。僕の育ったインターネットでは「オタク」と言わず「『ヲ』タク」と表記を変えることによってジャーゴン的なヲタクの気持ち悪さを自分たちから表明していたのも事実である。これは憶測だし、「自分がそうだったし、今もそうだから」式の牽強付会になってしまうことは承知の上で述べると、その恥ずかしさの裏にあったのは、やはりアイドルが「逃避」だったからである。僕が高校生のときよくつるんでいたTwitterのヲタク集団に、女性は一人もいなかった。アイドル現場で輪になって騒ぎ、居酒屋でドルシコ(アイドルでオナニーすること)論争を繰り広げる空間は、100%ミソジニーホモソーシャルによって担保されていた。結局そのヲタク集団はサークルクラッシャーみたいな女ヲタが現れて童貞のヲタクを食い散らかして空中分解する、という最悪の結末を迎えたのだが、それは置いておこう。とにかく、アイドルが好きであることによって自分のことも好きになれる、なんてことはあり得なかったのである。

 ここから先はかなり誤解を招く書き口になるので、予防線を張っておこう。僕は、ONCEであると自認する人たちのことをバカにしたり、攻撃したりしたいのではない。というかむしろ、本当にうらやましい。僕もできることなら、そういうアイドルの好きになり方をしたかった。TwitterやブログでONCEの方の文章を読んだり、直接話したりしてよく出てくるのは、生き方の問題や、誠実さについてである。「たかが」アイドルなのにTWICEについて話していたら自然と倫理の話になるのだから、本当にTWICEはすごい。僕はそういう人たちの文章に接する度に、この人たちはアイドルが好きなことが恥ずかしくないんだな、と素朴に思ってきた。これは僕のアイドル観がめちゃくちゃに歪んでしまっているからなのだが、20歳を越えてまともに異性と向き合わず、どう考えても普通に生きてたら遭遇するはずもないヴィジュアルの女の子のケツを追っかけている男性、本当に恥ずかしくないですか?あまつさえその女の子たちでオナニーまでしている始末である。我ながら救いようがない。僕は、ここまでの文章でV LIVEについて触れたが、実は僕はV LIVEをあんまり観ない。メンバー同士で、ときにはおちゃらけて、ときには真面目に、TWICEが語るTWICE自身の「人間性」みたいなものを見るのがめんどくさいのだ。アイドルには、完全に「パッケージ」、「コンテンツ」でいてほしい。ライブや歌番組で見せるパフォーマンスの表情の機微や、バラエティ番組でどれだけ面白いことを言ったりやったりするかの方が興味がある(「アイドルルーム」や「amigo TV」は同じものを何回も見るぐらい好きだが)。本質的に異性が怖くて興味も持てないのだ。そんなわけで、僕はずっとアイドルが好きな自分が恥ずかしい。アイドルが、TWICEが好きだと表明することは、「僕は女性から逃げています」と表明するのと全く変わらないからだ(こんなことを言っているが、TWICEの黒と金のトートバッグは普段使いにしている。デザイン的に言わないと分からないから使いやすいというのはあるが、TWICE好きな人に反応されると普通に嬉しい。こういう矛盾があることにも自分で自分に呆れ返る)。

 Twitterで、「ONCE」、「誠実さ」、といった文字列が目に入るたびに、言いようのない罪悪感を覚えた。どうひっくり返ってもこのアイドルに対するコンプレックスは言い逃れできないし、何よりそれに乗っかってそれっぽいことを言うのは一番良くないことだ。だから、逆張りのように僕は推しのジヒョでオナニーするかどうかと、結局ジヒョでオナニーしましたという記事を合わせて1万字ぐらい書いたし、Twitterでもしょっちゅうネタにしている。しかし、TWICEで下ネタを言う、みたいな露悪的な素ぶりは所詮表面的なものだ。それとは違う、もっと澱のように沈殿してしまった、TWICEを好きでいる(と表明する)ことのうしろめたさ、具体的に言えば「ONCE」からはぐれてしまったことの所在なさについて、何か言い訳をしなければTWICE自体が好きじゃなくなってしまうかもしれないとさえ思った。それでひねり出した僕の一連のツイートがこれである。

https://twitter.com/anusexmachina/status/1172546555343040512

「アイドルは全くの他人」というところからヲタクが始まっているので、既にだらしがない僕の人生をTWICEを観てしっかりしようという風には思えなくて、ヲタクってそういう矛盾をTwitterで茶化すもんだよなと思ってたら、意外とこう、TWICEで自分の人生を肯定しようみたいな人が多くて、おお、みたいな」

https://twitter.com/anusexmachina/status/1172548247983816706

これマジでそういう人たちを否定したいんじゃなくて、僕の母はBTS好きなくせに韓国が嫌いみたいな人だし、僕はそういうのはないんだけど、TWICEを観て頑張ってこう生きようとは思えないというか、TWICETWICEだし僕が怠惰で擁護のしようがないカスなのを特にどうする気もないみたいな矛盾はあります」

https://twitter.com/anusexmachina/status/1172728400890318848

というかTWICEを好きでいることによって私たちの人生色々あるけど頑張ろう!メンバーも頑張ってるし!みたいなワンスのあり方についていけなくなってる感がある、TWICEを観ても僕は頑張れないし頑張ろうとも思わないので」

https://twitter.com/anusexmachina/status/1172730149093044226

「じゃあ何のためにTWICE観てんのって言われたら、まあ第一には単に好きだからですが、アイドルを僕が愛するのは女性や社会からの逃避としか言いようがなく、それで僕みたいなヲタクは決していない訳じゃないんだろうけど、TWICE愛する人の中ではあんまり見ないみたいな、そういう話です」

Twitterだと冷笑的な文面になってしまうのは僕のよくない癖だが、この文章で言いたいことはこの4つのツイートを引き伸ばしているだけである。というか、一番最初のツイートの「おお、みたいな」のところの説明がこの記事と言ってもいい。TWICEが立派だから、ONCEも立派にはなれなくても、誠実に生きよう。そういう姿勢にはなれなかった。もともと逃避だから、TWICEから何かを学ぼうという姿勢すらない。だからといって口を開けて消費するのは何か悔しいから、こうやって長い文章を書いたりTwitterでお気持ち表明してそれっぽいことを言いたい……もはや言うのも情けないが、これが僕というヲタクのTWICEへの向き合い方である。ONCEになれないのではない。なる資格がないのだ。僕はただただ、ONCEでも何でもない、「TWICEのヲタク」、こんな言葉はないがあえて言えば「トゥワカス」として、これからもTWICEを見続けるだろう。

 

・やっぱり、TWICEは大好き

 なんだか散々なことを書いてしまったが、冒頭に戻って言わせてもらえば僕は本当にTWICEのことが好きである。推しであるジヒョを始め、9人(あんまりこの数字を迂闊に使いたくはないが、それでも)が歌って踊る姿を観ると元気が出る。精神病で本気で死にかけた僕がなんとかこうして文章を書いていられるのはTWICEのおかげだ。でもやっぱり、つくづく僕は面倒なヲタクである。多分これからも女性を怖がって被害妄想を膨らませては勝手にキレて縁が終わる、みたいな失敗を繰り返すし、僕はそのたびにアイドルにすがるだろう。でも、そうやってしか生きられないのだ。生まれてこなければよかったとさえ思うこの人生を1秒でも肯定できる瞬間の一つがアイドルを観ているときであることを、今更変えることはできない。刻むような人生を、泥のように、生き恥を晒して、野垂れ生きるしかないのである。

 

 あと、TWICELIGHTSは幕張3公演、静岡2公演申し込んで全部外れました。なんというか、日頃の言動のバチが当たった感じです。推しであるパク・ジヒョさんに最大限の愛を込めて。