思考停止

映画、本、音楽、など

愛がいつか終わっても――風俗黙示録

・2015年2月、五反田

 高校2年生の冬、私はどん詰まりになっていた。所属していた吹奏楽部が定期演奏会を前にして一切コンディションが仕上がらず(私も自分で出した曲の譜面がまともに演奏できない状態だった)、退部者が続出し、完全に空中分解していた。中、高とまともに授業を受けず部活に全てを捧げた学生生活だったので、部活イコール自分だった。あまつさえ、来年度は私が部長の責を負うことが決まっていて、つまりはこの崩壊したグループを立て直せるかどうかは私にかかっていたのだ。曲が吹けないプレッシャー、5年間ホルンを続けてきたプライド、「次期部長」の看板の重さ……今振り返ってみれば部活の問題なんて、という感じもするが、学校の授業をサボって昼まで寝ていて部活だけ行く、みたいな生活をして高校を留年しかけるような17歳にとって、部活は何よりも優先されるべきものだった。

 グダグダの合奏が終わり、今日もダメだった、明日もどうせダメだろう、などと思いながら当時の次期副部長であった友人と帰りの西武線で一緒になった日のことだった。彼は高校時代一番仲の良かった友人だったが、これからの部活の方向性で若干意見が食い違うこともあり、あまり雰囲気は良くなかった(この時期が一番関係が冷え込んでいた)。いつもなら好きなAV女優や映画の話で盛り上がる仲なのだが、二人の頭の片隅には常に「今の部活をどうするか」が重たく存在していて、話の途中途中はうすら寒い沈黙に支配された。

「なあ、もうさ、風俗行こうぜ」

 今思えば唐突も唐突である。友人が沈黙を破って言い放った一言がこれだ。しかし、当時の私はこの急な誘いに、「おう、行こうぜ」とも言わず、黙って首を縦に振った。そもそも童貞の17歳二人、金も度胸もないが性欲だけは持て余している存在がストレスを溜めたときにする行為はオナニーしかなかった。というか、ストレスがなくてもとりあえずオナニーしていた。部活や人間関係の閉塞は、いつものオナニーじゃなくて、もっとスリリングで、エキサイティングで、刹那的な、そういう性体験でなんとかごまかせるのではないか――そういう期待を持たなければ、明日からの部活をもうやっていけない。かくして私と友人は、スマホで全力で安いピンサロをこれまでにない結託で調べ上げ、週末に五反田で会うことになった。

 日曜朝10時半、冬の五反田の空は高かったのを覚えている。神妙な面持ちで駅で待ち合わせ。当然、私も友人も外出前に入念に体のチェックをした。シャンプーを二回、股間を特に力強く洗い、歯磨きは歯ぐきから出血するまで行った。別に不潔にしているわけではないが、友人と飲んだ帰りにフラッと風俗に行くようになった現在からしてみると、なんとも微笑ましい話である。目当ての店は11時開店だったから、慣れない五反田の街を暇つぶしにぐるぐる見て回って時間を潰した。

 開店と同時に入店。事前に見ていたホームページで目星をつけていた子を指名、二回転コース30分で大体8000円ぐらいだったと思う。当然法律(条例?)違反のことをしているので、小心者の私は心臓が炸裂しそうになりながらおばあちゃんからもらったお年玉の1万円をボーイに渡した。「ウーロン茶と緑茶、どちらになさいますか?300円でアルコール類のご注文も可能です」「え、あ、ウーロン茶で」などとギクシャクしたやり取りをボーイと交わす。友人の方を見たら、見たことがないぐらい真剣な表情でチューハイを買っていた。バカだと思った。

 結局、あとで書くことにはなるが、自分の中で「風俗=ピンサロ」という図式が出来上がっているのは、この体験のせいだと思う。爆音で流れるEDM、謎のミラーボールに緊張しながら席に案内され、着席して一緒にサーブされるウーロン茶をとりあえず飲む。外は寒いので冷えたウーロン茶で余計に体が冷える。まず一人目、やってきたのはちょっと年の行ったギャルだった。「何の仕事してるの?」「デザイン系です……」むちゃくちゃすぎる三味線であるが、初めて自分の顔が老け顔であることが功を奏した。もうどうでもいいから早くしゃぶってくれ、と思いながら虚ろな会話を交わす。ほどなくして、彼女は「ズボン脱いで」と私に促した。親の前以外で陰部を露出する初めての機会がこんなことになるとは思っていなかった。寒さで縮こまった私のものを入念にウェットティッシュで拭かれ、しこうしておもむろに咥えた。感触より何より、口にものを含むために私の太ももの上に彼女が覆いかぶさったとき、背中にゴリゴリの薔薇の刺青が施されていたのが衝撃的だった。肝心のテクニックの方は今思い返しても水準が高かったが、明らかに今出すわけにはいかなかった。何故なら、二回転の後の方に指名の子が控えていたからである。多少危なかったが、15分を耐えきり、お目当ての子を待った。ようやく出てきた女の子は、写真とは別人だった。ここで17歳の性欲お化け高校生は、初めてのピンサロ、初めてのパネマジ(パネルマジックの略。風俗用語で、入り口の写真をPhotoshopなどで美人に加工することによって実物と少し、あるいは全く違うものになっている状態を指す)を経験することになった。そのあとのことは、正直よく覚えていない。何をどう頑張っても、私のものはうんともすんとも言わなかったことだけが、心に刻み込まれている。自分が悪いのは分かってはいた。前日に高まりすぎて三回オナニーした私に全ての非があった。苦い気持ちを抱いて退店し、よく晴れて乾いた冬の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。涙は出なかった。これが、私の「はじまり」だった。17歳から今に至る5年間の私的風俗史の、いささか長すぎるプロローグである。

 

 私は、「書かずにはいられない」たちである。クラシック音楽や映画、アイドルやバーチャルYoutuberなど、ジャンルを問わずひたすらに自分の好きなものを書いてきた。それだけではない。Tumblrで好きになった人への想いや、はた目から見たらいわゆる「メンヘラ」のような自暴自棄じみた、今読み返すとかなり恥ずかしいものも、やはり文章として残っている。だが――今思うとなぜこれだけ書いてこなかったのかと不思議だが――私が偏愛を示す風俗については、まとまった文章を書かなかった。これは後付けであるが、風俗についての言説は、かなり差別化が図りにくい。なんでもいいが、「諭吉で風俗」などのレビューサイトを見ると、それがよく分かる。何分コースで、こんな嬢で、こんなプレイをして、星いくつで……ほとんどそんな感じである。その店に行くための参考にするものであるからそうなるのは自然なことだが、風俗については「誰が書いても同じ」ものになりやすい。中には素人童貞a.k.a素童氏や素股三四郎氏などの卓越したレビューもあるが、それもやはり「プレイ」がどういったものなのかを詳細に述べるもので、私が書きたいものではない(私が書きたいものではないというだけで、彼らの文章は読ませる力があり、非常に影響された)。私が書きたいのは、プレイがどう、嬢がどうというよりも、風俗という場において立ち上がる空気感や緊張感を切り取ったものである。だから、風俗それ自体についても、プレイの内容よりも「このお金を払って性的サービスやそれ以外の何かを受け取った」と思える何かの方が私にとってはよっぽど重要である。

 ここでは、特に思い出深かった(中には現在進行形のものもある)3つの風俗体験について、どれほどの長さになるか分からないが、書いてみようと思う。私にとって、性は宿命的なものであるが、特に風俗を巡る情念には、何か言葉にしづらいものがある。私は5年間、何かがあっても、何もなくても、ことあるごとに風俗に行った。童貞を捨てたあとも、風俗は変わらず私の欲望の対象であり続けた。初めての恋人ができても、金銭を伴わないセックスを経験しても、必ず風俗に行った。バイトができない体になり、親から外出時にもらった3000円のお小遣いをパチンコで5000円にして大塚の3000円20分のピンサロに毎週通うなどといったどうしようもない時期もあった。風俗について語るということは、私という人間のしどけなさについて語ることだ。そして、そのしどけなさは、10人いれば10人違った形でそれぞれの中にあり、それはもしかしたら、その人間の立派なところや誇れるところよりも、大事にしなければならない何かであることだって、大いにあることだ。ならば、そのほんの一端を、言葉にする努力をしてみたい。

 ちなみに、以下は具体的なエピソードになるが、「是非行ってみてほしい」という思いもあるものの、中には「ルール違反」を伴うものもあるので、店の名誉のためにも「地名・営業形態・イニシャル」で表記する。お前ばかり良い目見やがって、という向きもあるかもしれないが、風俗はびっくり箱のようなものなので、諸賢におかれては是非自分の足で店に赴き、自分だけの風俗の楽しみ方を見つけてほしい。

 

・1.新宿の店舗型ヘルス・C

 これはランキング付けではなく、あくまでも個人的に印象的だった3つのエピソードを選ぶというものだが、後程3つめの項目で挙げることになるピンサロにしてもこのヘルスにしても、新宿は極めてクオリティが高い印象がある。信用度とアクセスの良さから風俗に行くときは大体新宿で、価格帯は大塚や池袋よりは高めだが得られるものから考えれば抜群のコストパフォーマンスを誇る。私は行ったことがないのだが、ソープの老舗・Kグループやデリヘルも多く、私は風俗に行ったことがなくて行ってみたいという友人がいたらとりあえず新宿の無料案内所にブチ込んでいる。

 あまり辞書的な説明をすると長くなるので簡潔な前置きをすると、「ヘルス」という風俗の形態は大きく分けて三つある。ラブホテルや自宅から電話をかけて女の子を呼び出す「デリバリーヘルス」(デリヘル)、店舗で写真指名してから近くのレンタルルームや安ホテルでサービスを受ける「ホテルヘルス」(ホテヘル)、店舗とプレイルームが一体になっている「店舗型ヘルス」(箱ヘル)と大まかに分類できるが(これより細かい区分は浅学なのでよく知らない)、この中では私はデリヘルのみ使ったことがないためホテヘルとの厳密な区分がよく分かっていない節もある。私は箱ヘルが手軽でよく利用するが、箱ヘルは手軽な分ハズすときは結構ハズす。ここで取り上げるCというヘルスはチェーン店で、渋谷のCにも行ったことがあるが、「ワースト」で書こうかと思ったぐらいひどいサービスだった。ディープキスなし、フェラなし、素股は下手クソ、シャワータイムも無言で挙句に結構重量級の嬢だったので、終わったあとボーイに12000円返せと詰め寄ったことさえある。流石に返金はされなかったが、相当頭に来ていたのが伝わったようで、平謝りされた。こういう場合は嬢の責任ではなく、教育していない店側の責任なので、文句を言う筋としてはボーイに言う方が一応正しい(というか風俗で文句を言っている時点で相当終わっている人種だが、それはこの際考えない)。というのも、新宿のCは一回しか足を運んでいないものの、かなり心に残る経験だっただけに、期待値が高かったのである。

 その日、Cに行ったことによって、結果的に2日連続の風俗になった。前日は友人と徹夜で飲み明かした後動物園でゴリラを見てピンサロに行き、この日は確か当時やっていたバーのアルバイトに出勤する前にCに行った。歌舞伎町を少し奥に入ったところにあるこの店は、結構古めかしい佇まいをしている。電話で料金を確認し、初回45分8000円とのことだったので、受付で電話で話を伺った旨を言うと、快く待合室に案内してくれた。風俗においてかなり重要になるのはボーイの態度で、嬢がいくら良くてもボーイのせいで台無し、みたいなケースはしょっちゅうあるが、Cは抜群の対応の良さである。靴を脱いでスリッパに履き替えるときは靴を揃えて分かるように置いてくれる、待合室への動線、プレイルームに移動するとき他の客と鉢合わせにならないようにするなど、かなり行き届いていた。こう対応が良いと待合室での一服もリラックスできるものになる。

 フリーで入ったのでどんなのが出るかと思っていたが、アイドルオタクの例えで申し訳ないがLinQというグループの坂井朝香に似た、綺麗な人だった。これからバイトなんです、というと、初対面でタメ口が多い風俗嬢には珍しく、とても丁寧に、ではしっかり癒してあげますね、と返された。

 初めての箱ヘル体験は、結果的に素晴らしいものになった。シャワーのときから会話を切らさず、ベッドに移ってからは全てのプレイがスムーズで、全てを任せることができた。素股(挿入せずに手と股間の摩擦で疑似的に膣の感覚を演出するプレイ)をされたときは一瞬何をされたか本気で分からず、(確か)まだ童貞だった私はこれが噂の基盤(本番行為のこと。ピンサロ、ヘルスでは禁止行為だが、店や嬢次第では暗黙のうちにOKになっている場合もある)かと思ったが、後ろに手をあてがっているのを見て素股だと分かった。背中のマッサージもかなり入念に行ってくれた。

 プレイ終了後、シャワーを一緒に浴びながら、大学で何の勉強をしているのか聞かれた。学科振り分けが発表された後で哲学科に行くことが決まっていたので、一応哲学です、と答えた。普通の嬢なら、ここでへえ、そうなんだと言って終わらせるところなのだが、彼女は違った。何て言う哲学者?と切り返してきたので、若干ぎょっとしながら、当時よく読んでいたベルクソンの名前を挙げた。彼女は知的好奇心が旺盛で、私が少し読んだことがあるのはデカルトぐらいなんだけど、デカルトベルクソンはどういう違いがあるのかとか、ベルクソン哲学について説明してほしいとか、かなり突っ込んだ話をしてきた。私は残り時間の5分で、早口でそれらの質問に答えた。全裸で。風俗嬢にチンチン丸出しの状態でベルクソンの『時間と自由』の内容について喋らされたのは後にも先にもあれが最後である(大塚のピンサロで席に座ってウエルベックを読んでいたら『闘争領域の拡大』のあらすじを説明する羽目になったことはある)。彼女は、私の目を見て真剣に話を聞いたあと、お客さんはとても綺麗な敬語で喋りますね、と言った。なんでも、大学にいるときにヨーロッパ(具体的にどことは言わなかった覚えがある)に歴史の研究をするために留学をしたかったが金銭の問題で諦め、ここでお金を稼いでいつか海外に行く、という話だった。今書いても、かなり嘘みたいな話だが、こういう会話をしたことは事実である。留学云々は嘘なのかもしれないが、少なくとも私の哲学の話を聞き、私の言葉遣いを指摘する彼女の眼は、本物だった。このエピソードは3つの中では唯一プレイに関係しないところで、深く心に残っている。

 

・2.鶯谷のニューハーフヘルス・L

 小学生ぐらいのときから、私は同性に性的感情を抱くことに抵抗がなかったというか、自然なことだった。高校は男子校だったが、クラスメイトの男の子に恋をしたし(何度も口説いたが性的志向の壁はどうしようもなかった)、大学に入ってから男性と肉体関係を持ったこともある。そんなわけで、私は長らく自分のセクシュアリティバイセクシュアルだと思っていたのだが、ジェンダー社会学の授業を受けたりそういう本を何冊か読んで、完全にバイセクシュアルであると自分を定義するにはやや違和感を覚えるようになり、どちらかというとMSM(=Men who have Sex with Menの略、社会統計などで用いられる。セクシュアリティに関係なく男性とセックスする男性を指す)と言った方が近い気がするので、セクシュアリティを聞かれた場合はMSMの説明をするようにしておく。という御託は置いておいて、イケメンのチンポはしゃぶりたいものである。大きければ大きいほどよい。私も飲みの席で、酔った勢いで幾度となくイケメンの首筋を舐め上げ、チンポをまさぐった。普通にセクハラなのだが、酔いの勢いと「男同士の悪ノリ」という建前で許されてきてしまった。訴えられたらまず間違いなく負ける。

 女性同士のセックスコミュニティがどうなっているのかは知る由もないが、ハッテン場や二丁目に赴く勇気のない男性マイノリティが同性とのセックスにありつくのはかなり難しい。私が過去に関係を持った男性は高校の同期だったし、運と人脈でなんとか1人2人とセックスできるか、というところだ。そういう訳で、ニューハーフヘルスである。私の男性の好みが中性的な顔立ち(ゲイコミュニティの専門用語で言えば「ジャニ系」)で胸板が少し厚め、かつニューハーフではなくて無工事の「男の娘」やニュークオーターに限ると結構要求が多いのだが、Lにはかなり助けられている。他のニューハーフヘルスの口コミが「出てきたのがただのおっさんだった」みたいな話もあったりしてかなりリスキーなのだが、Lは(おおよそ)ハズレはない。3回利用したが、女の子かと見まがうレベルのイケメンが揃っている(本筋とは外れるのでこの話はあまり深入りしないことにするが、ニューハーフの子にフリーで当たったときに脱いだらリスカ・痣だらけの痛々しい裸で、とても対応が良く見た目のレベルも高い子だっただけに相当精神的に堪えた)。

 ニューハーフヘルス、という存在がどの程度まで風営法的にセーフなのかをしっかり勉強する必要があるが、これはルール違反でもなんでもなく(コンドーム付きで――ここが重要)挿入が可である。また、「逆アナ」といって、挿入「してもらう」のもOK。ただし、逆アナにはテクニックを要するので、できるスタッフ(嬢という言い方がこの場合適切でない気がするので、スタッフと呼んでおく)は限られている。注目すべきはその業務形態である。高田馬場店と鶯谷店に行ったことがあるが(というかここまで店舗を言っていてイニシャルがLのニューハーフヘルスは知る限り一つしかないので、何か問題が発生したらこの記事は消去することになる)、共通しているのは電話で指示を出され、その通りに道を進むと普通のワンルームマンションか大きい一軒家が現れ、中からスタッフが出迎えてくれる、という仕組みになっていることである。初めて行ったときは漫画『殺し屋1』に出てきそうなマンションを前にして、普通に漏らしかけた。ここで扱う鶯谷店はある文字列の看板が掲げられた一軒家だが、住宅街のド真ん中にあるのでこれも結構怖い。

 仮に、そのスタッフのことをTと呼ぼう。彼は160cm前後で私より背が低かったが、体つきはがっしりとまではいかなくともしっかり筋肉がついていて、チンポが大きく、何よりかなりの美形だった。アイドルにばかり例えるようで申し訳ないが、乃木坂46鈴木絢音に似ていた。おっとりした口調で話しかけてくれ、大学で哲学を勉強しているという私に――大学生に何を勉強しているか聞くのは会話のとっかかりとして都合がいいのだろう――デカルトのコギト・エルゴ・スムは知ってる、みたいな適当な口ぶりで三味線を弾いた。

 ベッドに移動し、プレイが始まると、端正な顔立ちからは想像もできないぐらいの乱れぶりを見せた。美形はどんな顔をしても美形なのだなあという素朴な感想しか出てこないが、「男同士」という法の抜け穴を突いた挿入を前提としたプレイは、これに慣れてしまうと普通のヘルスだと物足りなくなってしまうかもしれない、というぐらいに濃厚である。あと、ありきたりな話ではあるが、愛撫のポイントを男性同士だからほぼ把握できるというのはかなり大きい。もちろんTの大きいものも存分に味わい、それじゃそろそろ……みたいなことを私が彼の耳元で囁くと、うん……と言いながら挿入。ん?おかしくないか?枕元にあるゴムは?え?これ、「ナマ」じゃん……。実は、初めてLを利用したときも、最中に耳元で「ナマでしていい?」と囁かれたことはある(自慢のようになってしまうが、大きいとゴムと直腸が摩擦するのでローションを使っても結構痛いらしい)。行き届いた店なので大丈夫なのは分かっているが、男性同士のセックスはやはりリスキーであるので、そのときは丁重にお断りしたが、今、目の前で確実に自分がコンドームをつけずにイケメンの直腸にチンポをブチ込んでいる事実は揺るぎないものとしてある。思考回路は既にマッハ、言うか?いやでも言わなければこの子に生中出しできるし――理性と獣がBPM250のワルツを踊り狂う。結果的に、理性は獣に負けた。恋人のように互いを貪り合い、そのまま中で達した。もう、どうでもいいかな、と。1年後、私は新宿の保健所で検査を受けた。結果はHIV陰性。本当によかった(色んな意味で)。

 余談だが、シャワーの後、思い切って「なんでナマオッケーだったんですか……?」と聞いてみた(ホームページに「コンドームを使用しないプレイは禁止」と明記してある)。「いや、オッケーな訳じゃなかったんだけどさ……」今でも、真相はよく分からない。分からない方がいいこともあるのである。

 

・3.新宿のピンサロ・N

 上で、風俗とはびっくり箱のようなものだ、と書いた。それは半分は合っていて、半分は間違っている。フリーで入り、色んな嬢と接してゆく過程は、「推し」に巡り合うための旅だ。もちろん、写真指名で惹かれた嬢やヒメ日記で人となりを見て決め打ちするのも一つの楽しみ方ではある。しかし、私が5年かけて色んな風俗に行ったのは、いずれ出会う推しを見つけるためだ。推しに会えば、元気が出てくる。このどうしようもない日々を、また推しに会うためにもう一日長く生きてみようと思うことだってある。だから、このNという店は、私にとって一つのスタートであると同時に、通過点としての風俗巡りのゴールの景色を見せてくれた場所だ。

 私とNの付き合いは長い。大学1年生のとき、新宿で手ごろなピンサロ(池袋は少し遠い)がないかなと探していて、ホームページが比較的新しいデザインで若い嬢が多いというのが決め手でNに通い始めた。Nは総じて女の子の水準が非常に高く、上野でボストロールみたいな歯がない嬢と御手合せ願った苦い経験もあったりすると、Nはまさにオアシスである。かれこれ3年通っていて、多分総額で言えば10万は行かなくとも7~8万はNに突っ込んでいる。私は、何かにつけてNに行った。友人と飲みの勢いで、親にしょうもないことで怒られて、パチンコで2万負けて、恋人にフラれて、給料日で金が入って……私の冴えないキャンパスライフを彩ったのは、間違いなくNだった。ボーイの態度が悪かったりした時期もあるが、今はみんな愛想がいい。私が通い出したのはまだオープンしてそんなに時間も経っていなかったから、ボーイにまで教育が行き届いていなかったのだろう。ハキハキとコミュニケーションを取る今のNのボーイと会話していると、なんだか3年前のぶっきらぼうだったボーイとの殺伐とした会話さえも、良い思い出である。色んな女の子と遊んだ。同じ吹奏楽部の女の子と部活トークで盛り上がったり、上京組の子には出身地のご当地グルメについて聞いたり、あるいは私の身の上話を聞いてもらったり。嬢によってテクニックにムラはあったが、射精できなくても、Nを出て今日はハズレだった、来なければよかったと思ったことは、本当にただの一度もない。友人にもおすすめしているが、みんな満足して帰ってくる。名店とはまさにこのことだろう。

 今年の3月、髪を切ったあと、いつものようにフリーで入った。Rという明るい女の子に出会った。この子が、まさに私の「推し」である。ピンサロの楽しみ方は人それぞれだが、30分という短い時間をどう配分するかは、嬢のセンスである。私は足を思いっきり伸ばしていないと射精できない(いわゆる「足ピン」)上に遅漏という厄介なたちで、このせいでNの他の子に当たったときフラットシートに足を思いっきり伸ばしていたらこむら返りを起こして嬢の前で痛みのあまり号泣するという情けなさすぎる一幕もあったり、実際のセックスでもできる体位がかなり限定されるなどこの癖のせいで色々な問題があるが、一度当時のNo.3の嬢と20分間雑談してしまったときはかなり焦った。トークが上手いのである。愛想がいいのに当てられたが多分延々とフェラをするのは疲れるからさっさと出して終わらせてしまおうという嬢の目論見を邪推した私は、プレイが始まった段階で射精は諦めていた。が、足ピンもせず、3分で射精。これはかなり強引で私の好まないパターンだが、これもこれでスタイルの一つである。否定されるものではない。翻って、Rは雑談をしない。ブースに来て、「来てくれてありがとー!」と言いながらハグをして、すぐにキスをする。これがかなりありがたかった。「今日はイケないかもしれない」という不安を胸にブースにずっといるのはかなり辛いし、嬢にも申し訳ない。その代わり、Rは早く終わったら時間いっぱいまで話をしたり、キスをしたりしてくれる。見た目や体つきもかなり満点に近く、実際初めて入ったときはフリーだったのに今や指名No.2で2時間待ちはザラという人気ぶりである。

 先日、意を決して19000円を払い、本指名で60分のロングコースに入った。人生で一番お金を使った風俗は2番目のLで17000円だったので、最高記録を更新したことになる。来て早々、「久しぶり~!」と親しげに声をかけてくれる。こちらは3月からで大体5~6回ぐらい指名しているから平均すれば月に1回は会っていることになるが、今回は2か月ぶりだった。会話もほどほどに、すぐにプレイに入った。ここでプレイの内容を事細かに書いてもしょうがないだろう。とにかく圧倒的に濃密な60分間だった。Rを抱いている間、かつて付き合っていた恋人のことを思い出した。あの人と愛し合うときも、確かにこんな感じだった気がする。正面切って愛し合うことは、年を追うごとに難しくなるし、多分これからもっと難しくなっていく。それでも、Rとの60分だったり、彼女と付き合った半年だったりというタイムリミット付きで、いつか、愛がいつか終わっても――このときだけは、確かに愛し合っていたという温もりが残ることが、大事なことだと思った。即尺(おしぼりなしのフェラ)をしてもらえたとかは、割とどうでもいい。Rと私が、生まれたままの姿で愛し合うということが、最も心に残ったし、これだったら19000円なんて屁でもない値段だ。一通り終わって、名刺を書きにRが席を立った後も、煙草を吸いながら心地よい疲れを感じた。Rは戻ってくるなり、「口開けて」と言い、飴を口移しでくれた。こんなに甘い飴は初めてだった。

 

 私は、多分これからも、風俗に行く。推しに会いに。あるいはまた新たな出会いを求めて。これは、愛がいつか終わっても、いつか愛が終わることの、私だけの、ひそやかな黙示録である。

 

・おまけ――出会い系でデブに20000円取られた

 いい話風に締めようと思ったが、女を買っている時点で男としてアウトで最低である。惨めなエピソードを1個だけ、極めて短く触れてこの記事を終えよう。私はかつて付き合っていた人に付き合う前は3回、付き合ってから2回フラれているのだが、2回目にフラれたときは完全にヤケクソだった。セックスできればなんでもいいと思って無料の出会い系アプリに登録し、5分でマッチングした相手とその日のうちに大塚で会うことになった。プロフィールは27歳人妻。メッセージではそんなことなかったのにメアドを交換して電話番号も教えてじゃあ会いましょう!となったときに相手は20000円を要求。とにかくセックスしたかったので二つ返事で了承、大塚に到着、待っていたのは関取。前頭ではない。ホテルに行き要求通りの金額を支払い、一回戦やって終了。風呂を入れてる最中に帰られた。ジャグジー風呂に一人で浸かりながら吸った煙草の味を、私は忘れることはないだろう。愛がいつか終わっても。