思考停止

映画、本、音楽、など

身体を改造する、ということとそのまなざし

 今、自分は耳にピアスがロブに二個、インダストリアルが一個、インナーコンクが一個空いている状態だ。まあ、ぶっちゃけ一方のロブは6Gで普通の大きさじゃないし、もう一生このままだろう。インダストリアルの見た目の迫力もすごい。ちなみにあと18Gのピアスを二個開ける予定だ(テキトーに打ってるので変換違いは突っ込まないでほしい)。今もバングルが3個、指環を1個、ネックレスを1輪つけている。頭はくすんだ金髪で、このまま伸ばす予定だ。ヒゲも生えている。

 そこで疑問なのは、タトゥーやインプラントの存在だ。確かに日本ではヤクザの伝統があって「犯罪者」の入れるものというイメージが刺青は多いし、インプラントはまあ確かに見るとビビる(というかどうなってんだコレってなる)。でも、ブルーカラーの人たちだけが入れるものじゃなくなってもおかしくないのでは?と思うのだ。ピアスをバカバカ開け、バングルと指環とネックレスで着飾る、そのファッションと同じでいいのではないか、むしろ何がダメなのだろうという気がしてくる。そこで必要とされるのは、まなざしと倫理だ。

 当然タトゥーが入った人が電車に乗ってきたらびっくりはするだろう。いわゆる「ふつう」の人じゃないんだろうと思われるだろう。だが、それは多様性に回収できないのか?身体そのものが攻撃性を持つなんていうとメルロポンティのようだが、そういう風な形でなくタトゥーやインプラントが一般的になって、なおかつブルーカラーだけでなくインテリゲンチャにまで膾炙する日が来ることを、いや膾炙することを願っている。この文章は願いであり、祈りだ。タトゥーを入れたいが社会的状況で入れられないという人々(僕もそうだ)にどうか届いてほしいな、と思う。